灰色デイズ

やわらかくてぼんやりした灰色に包まれた日々

傷付くことの意味。

子どもの頃、私はいつも不安でした。

自分がいつかは死んでしまう存在だということ。はじめてそれを意識したのは小学校にあがるよりもっと前だったと思います。

いつか来る「死」を想像するだけで不安で胸が苦しくて夜がくるのが毎日こわかった。眠ったらそのまま暗い死の世界に連れて行かれてしまうような気がしていたんだと思います。こんなに恐ろしいのに、どうしてみんなが平気な顔をしていられるのかとても不思議でした。

 成長するにつれ不安は薄れ、大人になる頃にはそんな風に感じていた子どもの頃の自分を忘れていました。

 子どもの頃は苦いとしか感じない珈琲をいつの間にか美味しく感じるのは、成長するにつれて味を感じる細胞である味蕾(みらい)が減少して味覚が鈍化するからだとされています。不安を感じなくなったのは大人になったからではなく、感情が鈍化してしまっただけなのかもしれません。

 

子どもの頃のことを思い出したのは他の方の記事を読ませていただいたことがきっかけです。自分が死に向かって生きていることを思い出しました。 

satoufayukio.hatenablog.com

私はこんな風に文章を綴ることはとてもできませんが、いつも漠然と感じていた気持ちが言葉になったように感じました。他にも個人的に感情移入する部分があり、心の中にすとんと落ちてきました。

そしてそのように感じていたのが自分だけではないということに救われたような気持ちになり、電車の中で涙がこぼれそうになりました。

 

生きていく中で誰かを傷付けなかった人も傷付けられなかった人もいない。

 

私は傷付けてしまったことも傷付けられたことも消してしまいたいと願っていました。でもどんなに願っても消えないし、ずっと覚えて生きていくしかないんだろうとも思っていました。

覚えていることは本当に苦しいです。

 

人が傷付け傷付けられる存在なのだとしたら、少なくとも傷付いている間は自分は傷付ける側ではなくなるんだろうか。そうだったらいいと思います。

それなら今傷付いていることにも意味があると思える気がします。ただの自己満足だろうけど、自分は傷付けられたのではなく傷付くことを選んだと思えるようになるかもしれない。それなら少しだけ耐えやすい。そんな風に思いました。

決して自己犠牲や誰かを想うような綺麗な気持ちからではないですがそんな風に思いました。

 

前回の記事では大好きな先輩の話を書きました。あまりいい内容ではないので先輩のことを誰かにちゃんと話したことはありません。

今みたいに苦しいときに先輩が元気だったら、きっと話をきいてもらったり落ち込んでしまいそうな空白の時間に付き合ってもらっていただろうと思います。でも先輩は私よりずっと大変で私は無力です。

だからといってブログに書くのも妙な話だし自分でも甘えてると思うんですが、たくさんの方が記事を読んで応援までしてくださって本当にありがたかったです。

 いつも他の方の記事を読ませていただくことでも少しずつ元気をもらっています。

 

最後になりましたが、こうせいさんの記事を無断引用してしまい申し訳ありませんでした。この記事を読ませていただけてよかったです。ありがとうございました。